脳天直撃セガサターン
2012-11-24
先日ツイッターにて「セガサターンの誕生日だし思い出語れよ」というハッシュタグがありまして、YouTubeで色々とサターンのゲームの映像を探したりして思い出に浸っていました。てなわけでサターンの思い出についてちょっと語りたいと思います。まず、うちにあった黒いサターンは兄がブルーシードやスレイヤーズのゲームが出るからという理由で買ったものだったと思います。
ハードと同時に購入していたソフトはバーチャファイターでした。それまでスーファミでドラクエ6をやっていたような当時中学生の自分には3Dポリゴンというものがすごく衝撃的で、それが家でプレイ出来るなんて
未来がもうここに来てるやん!!Σ(゚Д゚;)
そんな感覚でした。デイトナUSAで車体がボコボコに歪む様には本当にシビレました。
兄の買ったゲームを遊んでばっかりというのも何なので、僕も何かサターンのソフトを買おうとゲームショップに向かいました。
しかし、当時の僕はまだそんなにサターンについて詳しくなかったし新作を買えるほど金銭的に余裕は無かったので、店頭で何となく雰囲気で感覚で値段も手ごろだった新忍伝というソフトを購入しました。
新忍伝は実写取り込みの忍者アクションゲーム。はっきり言って一般的には何じゃこりゃあああな残念なソフトでしたが、当時中学生な僕はマイナー気取って、クラスで誰もやってないであろう新忍伝を難易度ハードでクリアする程ガツガツやり込みます。そして「マイナーで変なゲームのほうが面白いぞ」と歪んだ確信をし始めるわけです。
そんなこんなで趣味がマイナーな方向へ進む中、サターンのソフトで特に一番印象に残っているのがデススロットル-隔絶都市からの脱出-です。頭のおかしい人達が住む街で武装したタクシーに乗りヤバい仕事をこなしていくという海外のゲームです。今思えば相当狂ってる内容でしたがドハマリします。このゲームをきっかけに海外の、いわゆる洋ゲーに興味を持ち始めます。
とは言うもののときめきメモリアルやザ・キング・オブ・ファイターズ'96などのメジャーなタイトルにもしっかりとハマって授業中にコマンドの練習したりイラストを描いたりしていました。イラストは葉書にかいて番組や雑誌や新聞のイラストコーナーなんかに送ったりしていました。
思えば・・・
女の子キャラの絵ばかり描くようになったのはサターン版ときめきメモリアルの影響が大きいですし、洋ゲーに惹かれるようになっていったきっかけを作ったのもやっぱりサターンによるもので、
中学生という多感な時期にサターンに出会ってなかったら、エロ漫画を描いて洋ゲーやって…といった今現在の生活は無かったに違いありません。
まぁ、さらに言うと、兄がいたからってことにもなって来ますが。
とりあえず、自分の原点はセガサターンだったのかもしれない。そんなことに気付いた今日この頃です。
ありがとうセガサターン。

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